For JAPAN

【第2弾】株式会社アセットビルドの代表取締役 猪俣 淳が伝えたい考え「どんなスタートラインでも『夢中になれる仕事』で道は開ける」

Interview

“日本の未来を創る本質的な気づきを”をテーマに発信しているFor JAPANプロジェクト。
代表インタビューを通して、テレビやYouTubeでは紹介し切れないお話を深掘りしていきます。
今回は、株式会社アセットビルドの猪俣 淳代表にインタビューしました。​

「どんなスタートラインでも『夢中になれる仕事』で道は開ける」

「自分で稼ぐ」意識の強い子ども時代

私は1961年に神奈川県横須賀市の海辺の集落で生まれました。実家は魚屋で、兄弟姉妹7人の子沢山(私は丁度真ん中の4番目)。小学校3年から中学3年までの間は、学校から帰るとゴム長靴と前掛けに出刃包丁を握って店の手伝いをしていました。

小学校低学年のころから「自分で稼ぐ」という意識は持っていました。最初に思いついたビジネスは、大風のあと海岸線を端から端まで歩いて、打ち上げられた空き瓶を集め、酒屋で換金し、それを元手にアイスを1箱買い、また海岸線を端から端まで歩いて売る。そして、その売上で読みたかった本を買い、読み終わったら教室の一番後ろに並べて貸本業をする・・・小学生にしては結構儲かりました。高学年になると、店の手伝い(無償)のほかに鉄筋大工などガテン系バイトでさらに稼ぎました。高校も大学ももちろん奨学金とバイトで卒業しました。

実家はオンボロの店舗併用住宅、お店のほかには夜は両親と末っ子の寝室になる6畳の居間と台所、そして兄弟姉妹6人が雑魚寝する8畳間しかありませんでした。比較的早い段階で「早く自分の家が欲しい」と強く願うようになったのもご納得いただけると思います。

就職してもストーブが買えなかった

大学4年の就職活動で最初に検討したのが警察(父が公務員を強く推していましたので、正義感が強かったのと、給与が高めなのが決め手でした)。そして、次に不動産会社。警察と違って自由行動に関する制約が少ないうえ他業種に比べて給料水準が高く、なんといっても自分の家がすぐに買えそうな気がしたことが決め手で、最終的にこちらを選びました。

そして新卒で就職した翌年の春。学生時代から付き合っていた彼女と23歳で結婚するときに築10年の3DKの中古団地を新居として購入しました。いきなりの住宅ローンですから、生活は楽ではありませんでした。

二人がそれぞれの実家から持ってきたダンボール10箱の荷物と、高校時代に買った原付2台が自宅以外の全財産。夏の扇風機はなんとか買えましたが、冬のストーブはお隣のご主人が単身赴任先で使っていた電気ストーブを借りました。

そんな社会人生活のスタートでしたが、とにかく仕事は頑張りました。実際に入ってみると、不動産の仕事は顧客の人生のなんらかの節目に深く関わって影響を与えることのできる素晴らしい仕事で、自分の人生を掛けるに値すると感じたからです。根はマジメで不器用ですから、“この人にはこの物件が絶対合っている”と思えば、他社物件であったとしても案内前日には仕事が終わった後から一晩中かけてピカピカになるまで磨き上げに行っていました。

自分の殻を破り出世、「不動産投資」との出会い

それでも、最初の2年間は鳴かず飛ばずの営業マンでした。今にして思えば、長靴前掛けでなくてスーツにネクタイの人は、根掘り葉掘りお客さんの事情を聴いたりしない・・・と、見当違いのスカした謎のプライドが邪魔をして、お客さんと本心と本心の関係を築けなかったのです。

そして3年目となった夏のある日。そんな自分の殻を破ることができた一つの取引が長いトンネルを抜けさせてくれました。その後、堰を切ったように10件以上の売買契約を成立させる月が続くような快進撃が始まりました。

25歳で副店長、27歳で店長と順調に出世し、給与収入もどんどん増えて20代で1000万円の大台も超えました。でも、収入に併せて税金や社会保障なども増え続け、原付は中古のジムニーになり、新車のジープになり、中古の団地は新築の建売になりと年収の増加と生活レベルの上昇がいたちごっこの、まさにラットレースのさなかにいたわけです。転機が訪れたのは結婚13年目の36歳でようやく双子を授かり、来るべき未来がいきなり現実味を帯びて目の前に突き付けられたときです。このままでいくと生活を切り詰めても、子育て費用がそれを上回るうえに、年齢的には子どもたちの大学進学と自分の定年とが微妙な感じだ・・・ということで、収益不動産の取得を意識し始めました。

そしてその3年後、最初の築古アパートを買ったのがスタートです。最初は手探りだった不動産投資も、様々な知識の取得と経験の積み重ねでロジカルにとらえられるようになり、同様のニーズを持つ人たちのためにそれを役立てる部門として「不動産投資企画室」を社内で立ち上げ、実需向け不動産から投資向け収益不動産の仕事にシフトしました。 自分自身で経験した不動産投資を具体的な数字とロジックに落とし込んで解説したのが著書「誰も書かなかった不動産投資の出口戦略・組み合わせ戦略」で、おかげさまで改訂・増刷を重ね、ロングセラーになっています。

「自分がしたい仕事」を続けるために会社を立ち上げた

この本がきっかけとなって、記事の執筆や講演などの仕事も増えました。また新入社員の時に一緒に働いていた年上同期の人が独立し賃貸管理と収益不動産売買の会社をやっていて、「ウチもなんとか会社らしくなったから、ぜひ来てほしい」と強いお誘いを受け転職しました。コンサルとして10年働いたものの、ある日突然朝礼で解雇と、新設予定の住宅建築会社への異動を発表され「それは自分がしたい仕事ではないから」と、そのまま辞めさせてもらいました。

突然の解雇ですから、あわてて会社を立ち上げることになったわけですが、それが収益不動産売買の仲介に特化した(株)アセットビルドなわけです。

折角なので、ありそうでなかった「不動産投資家にとって理想的な会社」を作ろうというのが最初に立てた方針です。投資家の代理人としての「アセットマネジメント(AM)」を突き詰めると、利益相反になりそうなほかの関連業務は自社では行わず、選定する立場を堅持するというシンプルな構造にする必要があり、また会社の維持存続のために提供するサービスや投資目線の劣化、無理な営業スタイルという事態が発生しないように間接部門はアウトソーシングして損益分岐点を引き下げ、専門性の高いコアな仕事を、専門的な知識と経験を持つコアな人材で行うという、小さくてピカピカに磨き上げられた会社がきっと正解だろうな・・・ということで、宅建業の免許が下りて本格始動してから1か月半しかなかった初年度から連続して黒字決算を続け、人員規模30倍の前の会社より経常利益は大きく、従業員の給与水準ははるかに高くすることができています。

そして、不動産を使った資産形成(アセットビルディング)を求める個人投資家、企業の皆さんが今日も全国各地から相談にお見えになっています。

会社概要

法人名:株式会社アセットビルド
代表者名:猪俣 淳
企業ホームページ:https://www.asset-b.com/
所在地:東京都千代田区丸の内1-8-3 丸の内トラストタワー本館20階
事業内容:投資顧問業・宅地建物取引業・一級建築士事務所

For JAPANプロジェクトとは

For JAPANプロジェクトとは、10年後20年後の日本の未来の担い手である20代にむけて、日本の未来を創る”本質的な気づき”を。をテーマに様々なコンテンツを通し情報発信を行っています。 参画された【50人の社長】というレンズを通して、経験に基づく本質的な考え方や情報を学び、動き出すきっかけを与え”日本の未来を創るプロジェクト”全国放送『For JAPAN ‐日本の未来がココに‐』(BS11)や、YouTubeチャンネル『For JAPAN ‐日本の未来がココに‐』など様々なコンテンツで社長たちが徹底討論。

・番組見逃し配信: https://youtube.com/playlist?list=PLFv6b8aodEYWpP5pqGBlWMgNZh1pb9NW2
・Instagram:https://www.instagram.com/forjapanproject_official/
・Facebook:https://www.facebook.com/profile.php?id=100087877119759
・X(旧Twitter):https://twitter.com/forjapanproject
・TikTok:https://www.tiktok.com/@forjapanproject?_t=8djAJF0hjFf&_r=1