“日本の未来を創る本質的な気づきを“をテーマに発信しているFor JAPANプロジェクト。
代表インタビューを通して、テレビやYouTubeでは紹介し切れないお話を深掘りしていきます。
今回は、 株式会社しちだ・教育研究所の七田 厚代表取締役社長にインタビューしました。
「”友達を大切にしてほしい”父が言ってくれたからこそ今がある」
親子会議で鍛えられた「自分で考える力」
私は次男なのですが、兄が4歳の時に病気で亡くなったため、1歳から3歳までの3年間は1人っ子でした。その後、妹と弟が産まれたので本当は4人兄弟なのですが、自分の意識の中では3人兄弟です。当時、父は自宅で英語塾を開いていて、母は保育士をしていたので共働き家庭でした。ですから、私たちの面倒はおばあちゃんが1人家にいて、見てくれていましたね。
両親も祖母も車の免許を持っていなかったので、家には家族の人数分の自転車があり、もっぱら自転車で移動していました。車がないので、家族旅行へ行った記憶はあまりありませんね。ただ、父のこだわりで「親子会議」をよくしていました。私が8歳、妹は5歳、弟にいたっては3歳だったのですが、弟に議長をさせて両親と話し合いをしていたんです。議題は、「今月の目標」や「家族旅行の計画」など。おそらく「企画して実行する力」や「自分で考える力」を鍛える目的があったのだと思います。 後に父の子育てに関する記述を見たところ、「こういう風にしたら、子どもはどう育つのか?」というように試行錯誤していたのだとわかりました。親子会議もその1つだったんですね。
興味に合わせて父が刺激をくれた
兄弟全員1年生から習字やピアノ、そろばん、自宅の英語塾などの習い事をしていました。その中でもそろばんは、5年生で入賞した経験があります。そろばんは上達すると「頭の中で、そろばんの玉が動くようになる」と言いますが、私にはそれができませんでした。ですから、その代わりに父から教わった「速算術」で勝負をしていたんです。その頃から、右脳ではなく左脳で勝負していたのかもしれません。
父は修学旅行期間など生徒がいないことがあれば、速算術だけでなく学校では教わらない特殊なことを、私の興味に合わせて教えてくれました。知らず知らずのうちに、親に開発されていたのだと思います。 このような小学生時代を過ごしていたのですが、6年生の頃「広島の私立中学校を受験してみないか」と言われて、受験しました。当時、島根県江津市は100人いたら1人中学受験するかどうかという地域で、私の通う小学校でも約180人の生徒がいる中で、受験したのは私だけだったと思います。中学受験を勧められたのは、息子さんを広島の私立中学に進学させたピアノの先生の影響でした。私は小学校では成績が良いほうだったのですが、「『井の中の蛙大海を知らず』だよ」「全国のレベルを知ったほうがいいよ」とアドバイスをもらいましたね。
ただ、中学受験の準備は間に合いませんでした。6年生の夏まで野球部に所属していたため、9月から5ヵ月間しか受験勉強できなかったからです。自信のあった算数ですら半分も解けず、受験した帰り道にポロポロ泣きながら帰ったのを覚えています。
「勉強と同じくらい友達も大事に」というアドバイスに衝撃を受けた
中学受験に失敗したので、公立へ進学しました。軟式テニス部の部長をしたり、ピアノを続けたりしていましたが、人一倍勉強をしていたので、どちらかというと「ガリ勉タイプ」に見られていたのかもしれません。その影響なのでしょうか、小学6年のときの児童会長の選挙や中学での生徒会長の選挙で落選したのは、嫌な思い出です。どちらも自分から立候補したわけではなく、クラスで推薦されて候補者になったのですが。
高校は第1志望の広島の私立高校に入学し、寮生活を始めました。中学校も併設された男子校で、1学年400人くらいのマンモス校でしたね。自分と同じように寮に入ったのは、学年の10%である40人程度。寮生活では「誰と一緒の部屋になるか」が、生活に大きな影響を及ぼします。最初に相部屋になったS君はものすごく勉強する人で、それに刺激を受けて、私も勉強するようになりましたね。ところが、3回目ぐらいの部屋替えで一緒になったH君は遊び人でした。「オレと一緒の部屋になったからには、お前だけ勉強させないよ」などと言ってきたんです。しかも有言実行で、毎日違う友達を部屋に呼んできては、ポーカーなどのトランプ遊びにつき合わされるんです。
ですから、寮の入口にあった公衆電話で父に連絡を取りました。「こんな状況だから、このままでは成績がガタ落ちになってしまう。引越しをしたいので、今度の週末に広島まで下宿探しを手伝いに来てほしい」と。しかし、父は「相部屋になった人や遊びに来る人たちは、あなたと友達になりたいと言ってきている状況だよね。勉強はスイッチが入れば、取り返しができるもの。今は友達作りを優先したほうがいいんじゃないか」と言われたんです。そのときは、鳩が豆鉄砲を食らったかのごとく驚きました。「それは遊びなさいってこと?」と言い返したかったくらいです。でも、自分にとって嫌な話ではなかったので、アドバイスに従いましたね。もちろん、そのせいで成績は下がっていきました。ですが、そのように友達中心の生活を送っていたことで、寮の中1から高3までをまとめる「自治委員長」に、8割以上の得票数を集めて選ばれたんです。
タイムマシーンで戻りたいのはあの時代
それから40年以上経ちますが、あのように友達と過ごす時代、共に遊び、悩む時期があって良かったなと思います。つらいときに励まし合える経験をしたから、35年経営してきた中でも、孤独感をあまり感じなかったのかもしれません。父は私が46歳のときに亡くなったのですが、それまでもらったアドバイスの中で「勉強ももちろん大事だけど、友達作りも同じくらい大事だよ」という、あのアドバイスが、いちばん自分のためになったと思っています。
今も70~90代の人ともフランクに話せたり、逆に20代の人たちと気楽に話せたりするのは、その頃の経験があるからだと感じます。高校入学当時は学年で2番だった成績が、卒業時には300番になるほど落ちました。しかし、成績の良い子・悪い子、どちらの気持ちもわかるようになりました。「タイムマシンで戻れるとしたらどの時代?」と聞かれたら、迷わず高校時代と答えますね。
会社概要
法人名:株式会社しちだ・教育研究所
代表者名:七田 厚
企業ホームページ:https://www.shichida.co.jp/
所在地:島根県江津市嘉久志町2345-5
事業内容:幼児・小学生向けの教育教材の研究開発・制作、幼児・小学生教室の運営 など
For JAPANプロジェクトとは
For JAPANプロジェクトとは、10年後20年後の日本の未来の担い手である20代にむけて、日本の未来を創る”本質的な気づき”を。をテーマに様々なコンテンツを通し情報発信を行っています。 参画された【50人の社長】というレンズを通して、経験に基づく本質的な考え方や情報を学び、動き出すきっかけを与え”日本の未来を創るプロジェクト”全国放送『For JAPAN ‐日本の未来がココに‐』(BS11)や、YouTubeチャンネル『For JAPAN ‐日本の未来がココに‐』など様々なコンテンツで社長たちが徹底討論。
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